ドナウの真珠と呼ばれるブダペスト。
その華やかな街並みの裏には、ユダヤ人たちが築いた豊かな文化と、20世紀の戦乱による大きな悲劇があります。
19世紀以降、ブダペストの発展には多様な民族が関わりましたが、とりわけユダヤ人は商業や金融の分野で大きな影響を与え、さらに芸術や学問の領域にも貢献しました。
戦前のブダペストでは人口の約25%がユダヤ人であり、この比率はヨーロッパでも突出していました。
彼らの存在なしには、近代都市としてのブダペストの発展を語ることはできません。
しかし第二次世界大戦中、ゲットーやホロコーストによって多くの命と文化が失われました。
ホロコースト期に川辺で命を奪われたユダヤ人を追悼しています
現在のブダペストには、壮麗なシナゴーグや祈りの場、犠牲者を追悼する記念碑が残っており、ユダヤ人社会の繁栄と苦難の歴史を伝えています。
本記事では、そうしたユダヤ人コミュニティの歩みを紹介しながら、ブダペストで訪れることができる場所を案内していきます。
ブダペストのユダヤ人の歴史や、ホロコーストについて知りたい方は、ぜひ最後までご覧ください。
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ユダヤ人社会とブダペスト
歴史ある街並みに、現代的な光景が溶け込んでいます
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ブダペストにはヨーロッパ有数のユダヤ人社会が築かれました。
それ以前からユダヤ人は街に暮らしていましたが、居住や職業に制限があり、発展の機会は限られていました。
1867年、オーストリア=ハンガリー二重帝国の成立に伴って「ユダヤ人解放」が認められると、ようやく市民としての権利が保障され、経済や文化に自由に参加できるようになりました。
銀行家や商人は鉄道や産業に投資して街の近代化を後押しし、ユダヤ系の作曲家や学者も国際的に活躍しました。
経済・芸術・学問の三つの分野で確かな足跡を残したユダヤ人社会は、ブダペストの繁栄を語るうえで欠かせない存在となったのです。
しかし第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの占領によってゲットーが築かれ、さらに数万人のユダヤ人がアウシュヴィッツへと強制移送されました。
現在ブダペストに見られるシナゴーグや記念碑の数々は、かつて栄えたユダヤ人社会と、その苦難の時代を静かに物語っています。
ブダペストに残るユダヤゆかりの場所
宗教的な清めのために今も使われています。
ブダペストには、かつてヨーロッパ有数の規模を誇ったユダヤ人コミュニティの足跡が今も残っています。
市内には観光客が見学できる大規模で華やかなシナゴーグもあれば、信者だけが利用するシナゴーグや、宗教的な清めに用いられる沐浴施設ミクヴェもあります。
こうした施設の一部は現在も礼拝や儀式のために使われており、生きた信仰の姿に触れることができます。
見学できる施設は入場料がやや高めですが、内部の装飾や歴史的背景を体感でき、ユダヤ文化を知る貴重な体験となるでしょう。
ユダヤ人街として知られるブダペスト7区の建物を中心にご紹介します。
ドハーニ通りシナゴーグ
ブダペストの中心、ドハーニ通りに建つドハーニ街シナゴーグは、ヨーロッパ最大のシナゴーグとして知られ、約3,000人を収容できる壮大な礼拝堂を備えています。
1859年に完成したムーア様式の建物で、縞模様のレンガと二本の塔が印象的です。
このシナゴーグは、19世紀のハンガリーで生まれたユダヤ教の一派「ネオローグ派」に属しています。
伝統を大切にしながらも、礼拝や教育を時代に合わせて近代化した流れです。
ハリウッド俳優トニー・カーティス(映画『お熱いのがお好き』などで知られる、ハンガリー系ユダヤ人)が、1990年代のシナゴーグ修復に多額の寄付を行ったことでも有名です。
観光客が訪れる博物館的な役割を果たしていますが、今も宗教施設としての性格を残しているため、服装規定や男性のキッパ(小さな丸い帽子)の着用が求められます。キッパは入り口で貸してもらえます。
見どころはその礼拝堂内部です。入るとまず目を引くのは、中央の広い空間と、それを挟むように左右に伸びる回廊。そして頭上を覆う、大きなアーチの天井。
内部はおよそ1,200㎡の広さがあり、地上階には男性用の座席が1,497席、上の階のギャラリー席には女性用の座席が1,472席設けられています。
シナゴーグでは、正面に「アーロン・ハコデシュ」と呼ばれる特別な箱(聖櫃)が置かれていて、その中にトーラー(ユダヤ教の律法が書かれた巻物)が収められています。
毎年9月には「ユダヤ文化フェスティバル(Zsidó Kulturális Fesztivál)」が開催され、礼拝堂がコンサート会場として使われることもあります。
私も一度このフェスティバルの際、礼拝堂でのコンサートに訪れたことがありますが、神聖さに包まれながらも、煌びやかで美しい雰囲気に感動しました。
シナゴーグの敷地は礼拝堂だけでなく、複合的な施設になっているのが特徴です。
入口に隣接するユダヤ博物館では、ハンガリー・ユダヤ人の生活や宗教的遺産、ホロコーストの歴史を伝える展示を見ることができます。
館内には儀式に使われたトーラーの巻物や銀細工の礼拝具などが収蔵されており、宗教施設を超えた文化的価値を感じさせます。
画像引用元:公式ウェブサイト
シナゴーグに隣接する1931年に建てられた礼拝堂は「英雄の礼拝堂(Hősök temploma)」と呼ばれています。
第一次世界大戦で戦死した約1万人のハンガリー・ユダヤ人兵士を追悼するために建立され、現在も記念の場として利用されています。
英雄の神殿の隣には、世界でも珍しいシナゴーグ併設の墓地があります。
通常ユダヤ教では礼拝堂と墓地は離れて設けられますが、第二次世界大戦中にゲットーとなったこの一帯では、ゲットー内で亡くなった人々を郊外の墓地へ運ぶことができず、やむなくここに埋葬されました。
現在も約2,000人の犠牲者が眠り、静かに当時の悲劇を物語っています。
庭に立つのは、ステンレスの葉を持つ柳の形のモニュメント「生命の樹(Tree of Life)」。
枝から垂れる無数の葉には、ホロコーストで命を落とした人々の名前が刻まれており、追悼と平和への祈りを象徴しています。
ドハーニ通りシナゴーグの情報 | |
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住所 | Budapest, Dohány u. 2, 1074 |
アクセス | Astoria駅から徒歩3分 |
公式ウェブサイト | https://jewishtourhungary.com/en (ルンバフ通りのシナゴーグと共通ウェブサイト) |
営業時間 定休日など | https://jewishtourhungary.com/en/opening 土曜日は安息日でお休み、金曜日は通常より早くクローズ その他、ユダヤ教の祝日に関連した休みなどがあるので、公式ページをご確認ください |
チケット料金 | https://jewishtourhungary.com/en/cart 2025年9月現在、大人13,000フォリント |
注意事項 | 男性は頭を覆う必要あり(入口でキッパを配布) 露出の多い服装(ノースリーブ・短いスカート・ショートパンツ)は不可 大きな荷物・飲食・喫煙は禁止、入場時にセキュリティチェックあり |
ルンバフ通りシナゴーグ
ドハーニ通りのシナゴーグから歩いて数分、ウィーン分離派の巨匠オットー・ワーグナー設計のネオローグ派のシナゴーグは1874年に完成しました。
鉄骨構造を取り入れた当時最先端の建築で、内部は軽やかで開放感のある雰囲気に包まれています。
戦時中には収容施設として使われるなど苦難の歴史を経て荒廃しましたが、全面修復を経て2021年に再公開。
現在は礼拝の場であると同時に、コンサートや展示会なども行われる文化施設として生まれ変わりました。
ルンバフ通りシナゴーグの情報 | |
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住所 | Budapest, Rumbach Sebestyén u. 13, 1074 |
アクセス | Deák Ferenc tér駅から徒歩5分 |
公式ウェブサイト | https://rumbachzsinagoga.hu/en/ (↓ドハーニ通りのシナゴーグと共通ウェブサイトにも情報あり)https://jewishtourhungary.com/en |
営業時間 定休日など | https://jewishtourhungary.com/en/opening#rumbach 土曜日は安息日でお休み、金曜日は通常より早くクローズ その他、ユダヤ教の祝日に関連した休みなどがあるので、公式ページをご確認ください |
チケット料金 | https://jewishtourhungary.com/hu/cart 2025年9月現在、大人5,000フォリント |
注意事項 | 男性は頭を覆う必要あり(入口でキッパを配布) 露出の多い服装(ノースリーブ・短いスカート・ショートパンツ)は不可 大きな荷物・飲食・喫煙は禁止、入場時にセキュリティチェックあり |
カズィンツィ通りの正統派シナゴーグ
奥にある正統派シナゴーグは、2025年9月現在、観光では入場できません
1913年に完成したカジンツィ通りのシナゴーグは、ブダペスト正統派コミュニティの中心となる礼拝堂です。
ドハーニ通りやルンバフ通りのシナゴーグが現在は観光・文化施設としての性格が強いのに対し、このカジンツィ通りは今も現役の宗教施設として、週末や祝祭日には礼拝が行われています。
内部は1000席を超える大空間で、ハンガリー・アール・ヌーヴォーの華やかな装飾や、ジョルナイ陶磁器のエオジン釉タイル、ブダペストのロート・ミクシャ工房によるステンドグラスなど、当時の職人技が凝縮されています。
外観は質素ながら、内部はきらびやかで驚かされるはずです。
また、初代ラビの席を以降のラビたちが敬意を込めて空席のまま残しているなど、独自の伝統も受け継がれています。観光地化された大シナゴーグと違い、ここではユダヤ人街の日常に今も生きる信仰の雰囲気を感じられるでしょう。
カズィンツィ通りの正統派シナゴーグの情報 | |
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住所 | Budapest, Kazinczy u. 29-31, 1075 |
アクセス | Deák Ferenc tér駅、Astoria駅から徒歩10分 |
公式ウェブサイト | https://maoih.hu/(ハンガリー語) |
営業時間 定休日など | 2025年9月現在、一般公開は停止中 |
カジンツィ通りで他に有名なのは「廃墟バー」のシンプラケルト(Szimpla Kert)。若者や大人向けのバーですが、日曜日のほのぼのとした雰囲気を記録した記事はこちらです。
ミクヴェ(ユダヤ教の沐浴施設)
ユダヤ教の家庭生活に欠かせない”清浄”のための施設が「ミクヴェ」です。
カジンツィ通りには今も美しいミクヴェが残っています。
ミクヴェは廃墟バー・シンプラケルトの隣にひっそりと立っていて、外から見ただけではよくわからないほどです。
宗教施設とバーが同じ通りに並ぶギャップが、ブダペストらしさを感じさせます。
ミクヴェに使われる水には厳格な規定があり、タルムードに基づいて「自然の水(雨水や地下水)」でなければなりません。カジンツィ通りのミクヴェも、屋根に集めた雨水と、敷地内の井戸水を利用しています。
使用方法は、女性が結婚後や月経後に身を清めるため、男性は安息日や祭日を前にするためなど。
また、新しい食器を使う前に水に浸すといった習慣もあります。
この施設は1923年に土地が購入され、最終的に1928年にアール・デコ様式の設計が選ばれました。1930年に開業し、男女別の浴場と食器専用の部屋を備えています。
女性用の浴場は2004年に全面改修され、現在では世界でもトップレベルの美しいミクヴェとして知られています。
この改修工事はニューヨークから来たハシディム(敬虔なユダヤ教徒)の配管工の指導で行われました。
観光では残念ながら訪問できませんが、静かに水をたたえた浴槽やアール・デコの装飾を思い浮かべると、その神秘的な雰囲気を少し感じ取れるかもしれません。
ミクヴェ(ユダヤ教の沐浴施設)の情報 | |
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住所 | Budapest, Kazinczy u. 16, 1075 |
アクセス | Astoria駅から徒歩9分 |
公式ウェブサイト | https://maoih.hu/mikve/(ハンガリー語) |
シャス・ヘヴラ・ルバヴィチ・シナゴーグ
ユダヤ人街のヴァシュヴァーリ通りに、小さな礼拝堂 シャス・ヘヴラ・ルバヴィチ・シナゴーグ があります。
外から見るととても控えめで、内部は基本的に信者しか入れません。
このシナゴーグの名前にある「Lubavitch(ルバヴィチ)」とは、18世紀の東欧で生まれたユダヤ教正統派の一派「ハバド・ルバヴィチ運動」を指します。世界各地に広がるこの運動の共同体が、ここブダペストにも存在しています。
ドハーニ通りの大シナゴーグのように壮大な建築ではありませんが、こうした小さな祈りの場からも、ブダペストに今も息づくユダヤ人コミュニティの多様性を感じることができます。
シャス・ヘヴラ・ルバヴィチ・シナゴーグの情報 | |
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住所 | Budapest, Vasvári Pál u. 5, 1061 |
アクセス | Deák Ferenc tér駅から徒歩10分 |
ホロコーストの記憶を辿る場所
スイスの外交官として数万人の命を救った彼をはじめ、ブダペストではユダヤ人を助けようとする動きが数多く見られました。
ブダペストには、ユダヤ人の生活や信仰を伝える場所とあわせて、ホロコーストの記憶をとどめるモニュメントも数多く残されています。
戦前のハンガリーには約80万人のユダヤ人が暮らしていましたが、そのうちおよそ55万人がホロコーストで命を落としたと言われています。
首都ブダペストにも約20万人のユダヤ人が住んでいましたが、戦争末期に残ったのはおよそ12万人。
多くの人が強制移送や迫害で犠牲となったのです。
ブダペストには二つのゲットーがありました。
13区にあった国際ゲットーは、ヨーロッパでも珍しい「外国公館の庇護下に置かれた特別区」で、比較的多くの人が生き延びることができた場所です。
それに対して、7区に設けられた大ゲットーでは、過密と飢餓、寒さや病気によって日々多くの命が失われ、状況は極めて悲惨なものでした。
ここからは、この大ゲットー跡が残る7区を中心に、ホロコーストの記憶をたどっていきます。
さらに詳しく学びたい方は、9区パーヴァ通りにあるホロコースト記念館(旧シナゴーグを改装した施設)を訪ねるのもおすすめです。
ドハーニ通り34番地のゲットーメモリアルウォール
ドハーニ通り34番地に立つゲットーメモリアルウォールは、ホロコースト70周年にあたる2014年に完成したモニュメントです。
かつてこの場所には、ユダヤ人商人モラヴェツ家が建てた三階建ての住居がありましたが、ブダペスト包囲戦(1944–45年)で破壊され、その後長く空き地となっていました。
メモリアルウォールは1944年12月に建設されたペスト大ゲットーの木柵を象徴しており、跡地のラインに沿って設置されています。
壁面には当時のゲットーの範囲を示す地図、1944–45年の主要な出来事、そして詩篇の一節が刻まれています。
1944年12月から翌1945年1月の約6週間、このゲットーにはおよそ7万人のユダヤ人が押し込められていました。
1部屋に十数人が暮らすほどの過密状態で、水や食料は不足し、パンの配給は1人1日わずか150グラム。
衛生環境も極めて悪く、毎日100人前後が命を落としたと伝えられています。
こうした惨状を記憶するため、この壁はブダペスト7区とEMIH(統一ハンガリー・イスラエル教団)によって建立されました。
現在は市民や観光客が訪れる追悼の場となっています。
ドハーニ通り34番地のゲットーメモリアルウォールの情報 | |
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住所 | Budapest, Dohány u. 34, 1074 |
アクセス | Astoria駅から徒歩8分 |
ラウル・ワレンバーグ記念碑
カバンだけが残されている様子は、突然姿を消したワレンベルグ自身を象徴しているかのよう
ブダペスト中心部のエルジェーベト広場(5区にありますが、7区から歩いてすぐ)には、第二次世界大戦中に十万人近くのユダヤ人を救ったスウェーデンの外交官ラウル・ワレンバーグをたたえる記念碑があります。
彼はユダヤ人に「保護パス」を配り、スウェーデンの保護下にあることを示しました。
この書類自体には国際的に法的な効力はありませんでしたが、スウェーデンの国章が押されていたため大きな抑止力となり、ファシスト政党”矢十字党”やナチスに「この人は守られている」と思わせ、実際に多くの人々を救う力を発揮したのです。
さらに市内に 30棟以上の「安全住宅」 を設け、そこに多くのユダヤ人を匿いました。
これらの建物はスウェーデンの国旗や看板が掲げられたことで、事実上の外交保護下とされ、数万人の命が救われました。
ときには矢十字党に連れ去られそうな人のもとに駆けつけ、保護パスを掲げてその場で救い出したこともあったといいます。
その勇気ある行動によって命をつなぐことができた人は数え切れません。
ワレンバーグは矢十字党から命を狙われていたため、同じ場所に長く留まらず、ブダペストのあちこちを転々としながら活動を続けたといいます。
やがて1945年1月、ブダペストはソ連軍によって解放されました。
しかし、安堵もつかの間、ワレンバーグ自身はソ連軍に連行され、スパイ容疑をかけられたまま消息を絶ちました。
その後の運命はいまも明らかになっていません。
現在でもワレンバーグは「諸国民の中の正義の人」としてイスラエルから称えられ、その功績は世界各地に建てられた記念碑に刻まれています。
ラウル・ワレンバーグ記念碑の情報 | |
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住所 | Budapest, Erzsébet tér 11-13, 1051 |
アクセス | Deák Ferenc tér駅から徒歩1分 |
カール・ルッツ記念碑
ブダペストのユダヤ人街にある「カール・ルッツ記念碑」は、第二次世界大戦中におよそ6万人のユダヤ人を救ったとされるスイスの外交官 カール・ルッツ を称えるモニュメントです。
彼は、当初は7,800人分に限られていたパレスチナ移民証明書を「家族単位」と拡大解釈し、実際には数万人に保護証を発行しました。
こうして多くのユダヤ人をスイスの外交保護下に置き、命を救ったのです。
近くのプレートには、タルムードの言葉 「一人を救うことは、世界を救うことと同じ」 や、ルッツが当時の日記に記した言葉が刻まれており、彼の苦悩と使命感を感じ取ることができます。
(カール・ルッツの日記より)
ラウル・ワレンバーグと同様、イスラエルから「諸国民の中の正義の人」として称えられているカール・ルッツ。
ドハーニ通りのシナゴーグとルンバフ通りのシナゴーグの間にあるモニュメントなので、立ち寄って静かにルッツの功績と当時の歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
住所 | Budapest, Dob u. 12, 1072 |
アクセス | Astoria駅から徒歩7分 |
ドナウ川沿いの靴の記念碑
川向こうの丘の上に見える尖塔はマーチャーシュ教会
国会議事堂のすぐそば、ドナウ川の岸辺に並ぶ「靴の記念碑」。
ここは、第二次世界大戦中に矢十字党によって銃殺されたユダヤ人を追悼するためにつくられたモニュメントで、「靴を脱いでから撃たれ、川へと流された」という史実をもとに設置されました。
この場で数千人が犠牲になったと伝えられています。
岸辺には60足あまりの鉄製の靴が並び、男性用のブーツ、女性のハイヒール、子どもの小さな靴まで、さまざまな形が再現されています。
花やろうそくが手向けられることも多く、訪れる人々に静かな衝撃と深い感慨を呼び起こします。
観光地として有名ですが、実際に訪れると静かな川辺に並ぶ靴のひとつひとつから、歴史の重みを感じ取れる場所です。
ドナウ川沿いの靴の記念碑の情報 | |
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住所 | Budapest, Id. Antall József rkp., 1054 |
アクセス | Kossuth Lajos tér駅から徒歩5分 |
【まとめ】ユダヤ人の歴史に触れるブダペスト観光
ブダペストを歩くと、ユダヤ社会のかつての繁栄を今に伝える姿が目に入ります。
ドハーニ通りやルンバフ通りに立つ壮麗なシナゴーグ、ロート・ミクシャのステンドグラスに彩られた礼拝堂、そして往時の賑わいを想起させるユダヤ人街の面影。
これらは、19世紀以降に経済・芸術・学問で確かな足跡を残したユダヤ人社会の存在感を、現在の街並みにも映し出しています。
一方で、この街には悲しいユダヤの記憶も刻まれています。
ドナウ川岸の「靴の記念碑」、ドハーニ通り34番地のゲットーメモリアルウォール、そして大シナゴーグの敷地内に眠る無数の犠牲者たち。
ホロコーストで失われた命と文化は、現在もシナゴーグや記念碑を通して伝えられています。
ユダヤ人の歴史を知ってから街を歩けば、建物や記念碑が持つ背景が見えてきます。
そうした視点を持つことで、また違ったブダペストを感じられるかもしれません。