トランシルヴァニアの丘のあいだを走っていると、小さな村の真ん中に、分厚い壁に囲まれた教会がぽつんと現れることがあります。
これが「要塞教会」と呼ばれるもので、モンゴルやオスマン帝国の襲来から村人が身を守るために、教会を城壁で囲んでしまったものです。
こうした要塞教会はトランシルヴァニアに150ほど残っていて、そのうち7つが、教会を中心とする村ごと世界遺産に登録されています。
今回はそのひとつ、シギショアラとブラショフの間にあるヴィスクリ(Viscri)の村を訪ねました。
本当は2時間でサクッと見てまわる予定が、現地バス会社のスケジュール変更により、なんと5時間も滞在しなければならないことに!

要塞教会の手前に民家がずらりと並ぶ小さな村で、どう時間をつぶそうかと途方にくれていましたが、意外とあっという間に時間がすぎ、たまにはのんびりするのもいいなと思える滞在でした。
今回の記事では、ルーマニアならではの要塞教会や村の様子を、画像たっぷりでお届けしていきます。
トランシルヴァニアへお出かけ予定の方は、ぜひ参考にしてください。
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本宮愛栞(もとみや あいか)
旧名「りり」でブログを書いてきました。
🇭🇺 ブダペスト在住21年。ハンガリー情報を中心に、旅先の情報も発信中。
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要塞教会と世界遺産の村

トランシルヴァニアには12世紀半ば、ハンガリー王ゲーザ2世の招きで、後に「トランシルヴァニア・ザクセン人」と呼ばれるドイツ系の移住者がやってきました。
国境地帯を守り、土地を開くことと引き換えに、彼らは広い自治権を認められました。
この地域は、ヨーロッパとアジアがぶつかる場所でもあります。
1241年にはモンゴル軍(タタール)が襲来して村々が壊滅し、15世紀以降はオスマン帝国の侵攻が繰り返されました。
そこで村人たちが考えたのが、村でいちばん頑丈な建物である石造りの教会を、高い城壁でぐるりと囲み、まるごと要塞にしてしまうという方法です。
敵が来たら村人全員が家畜を連れて中に逃げ込み、扉を閉ざして立てこもりました。

貯蔵室に肉やベーコンが吊るされています
要塞教会には、避難するための部屋と、穀物やベーコンなどを貯蔵するための部屋が用意されています。
平時は保存食の貯蔵庫、有事は避難所という二役をこなしていました。
トランシルヴァニアでは、7つの村が「トランシルヴァニアの要塞教会のある村落群」としてユネスコ世界遺産に登録されました。
1993年にビエルタンが登録され、1999年に残る6つが追加されています。
- ビエルタン(Biertan)
- クルニク(Câlnic)
- ドゥルジウ(Dârjiu)
- プレジュメール(Prejmer)
- サスキズ(Saschiz)
- ヴァレア・ヴィイロル(Valea Viilor)
- ヴィスクリ(Viscri)
中世末期からほとんど変わっていない土地の使い方、村の並び、農家の造りまで含めた「風景まるごと」が、世界遺産として評価されています。

ガチョウものんびり歩いていました
7つのうち6つはザクセン人の村ですが、ドゥルジウ(ハンガリー語でセーケイデルジュ)だけはセーケイ人の村。
同じ脅威にさらされたセーケイ人が、隣のザクセン人の村にならって教会を要塞化したもので、防衛の知恵が民族を越えて広がったことがうかがえます。
素朴な村の風景

両脇に細長い農家が並ぶ
ヴィスクリへはシギショアラから車で50分。
村の入り口でおろしてもらい、要塞教会のある奥へ向かって、ぶらぶらと歩いていきます。
この小さな村で5時間も過ごすので、普段はせっかちな私ですが、この日ばかりはすべての動きをスローペースで行うよう心がけました。

細長い敷地がずらりと並んでいるのがわかります
村の通りの両脇にはずらりと家が並んでいて、ハンガリーの田舎で見た村並みにどこか似ています。
それもそのはず、このあたりは中世に計画的に開かれた村。道沿いの土地を細長く割っていく造り方が共通していて、どの家も奥へ長く伸びているのが特徴です。
ところどころに素朴な湧水の水場があったりして、のどかな雰囲気です。

家畜の水飲み場にもなっているようです
ちょうど、木を囲む水飲み場で真っ白な犬が水を飲んでいて、そのあと頭を撫でさせてくれました。
放し飼いの犬にたくさん出会いましたし、ガチョウものんびりと草をつついていて、田舎の風景そのものといった感じです。

民家の食堂でのんびりランチ

のんびりランチを楽しみました
ルーマニアの素朴な村では、民家の庭で地元の食材を使った料理を出す食堂が人気です。
ヴィスクリも例に漏れず、小さな村ながら数軒の食堂が夕方ごろまで営業しています。
「村にしては値段が高い」と言われがちですが、街のレストランとはまったく違う雰囲気を味わえるのが魅力です。

今回選んだのは、要塞教会の近くにあるLa Marianna。
午後2時過ぎでしたが、まだ数組のお客さんが食事をしていて、庭にひとつだけ空いていた席に座りました。
すぐに人懐っこい犬が寄ってきてくれて、嬉しいスタートです。

みんな人間に慣れています
メニューはそれほど多くありません。
事前にチェックしていたピーマンの肉詰めがこの日はないと言われ、少しがっかり。気を取り直して、前菜にルーマニア定番のミートボールのスープを頼みました。

予想どおりボリュームたっぷりのスープが、わりとすぐに運ばれてきます。
ルーマニアのスープは酸味があるのが特徴で、発酵させた液で酸味をつけるのだそう。
さっぱりしていて、味わい深い一皿です。
猫がやってきて私のテーブルの下にピタッと陣取りをしたので、ミートボールをちょっと分けてあげました。
メインは、ピーマンの肉詰めの代わりにグヤーシュ。(本当は豚肉の焼いたものを頼んだのですが、間違って出てきてしまい、まあいいかとそのままいただきました・笑)

トマトとキャベツのサラダを添えて
ハンガリーのグヤーシュは完全にスープですが、こちらはシチューのようなタイプ。とはいえ汁気は多めで、スープっぽくもある不思議な感じ。細かく刻んだ香味野菜がたっぷりで、おいしくいただきました。
こちらのお肉を食べるのも猫が手伝ってくれました。
最後にコーヒーを頼んで、合計金額は122レイ(約4,400円)。
気づけば2時間。せっかちな私にしては驚きの長さです。
他のお客さんものんびり過ごしていて、たまにはこんな時間もいいなぁと思いました。

古い納屋とテラス席が並ぶ
要塞教会の中へ

白い城壁と塔が村を見守る
食事を終えて食堂を後にし、小高い丘の上にある要塞教会へと向かいました。
受付でチケットを購入し、分厚い城壁の門をくぐります。
中央には真っ白な教会がそびえたち、そのまわりを頑丈な要塞の壁がぐるりと囲んでいます。
以前、ルーマニアの別の要塞教会に訪れたことがありますが、要塞と教会の組み合わせは何度見ても不思議な光景です。

壁には戦没者の記念板
城壁の展示室が混雑していたので、まずは教会へ入場しました。
中にはパイプオルガンや彩色された説教壇、花模様の回廊席があって、小さな村の教会としてはなかなかの見応え。
年季の入った木の長椅子がいい雰囲気を出しています。
天井はもともと石造りのアーチ状だったものの、1743年に木の平らな天井へ架け替えられたのだそうです。

パイプオルガンや花模様の回廊席、木の長椅子
城壁沿いの部屋のひとつでは、ベーコンや肉を吊るして保存していた様子が再現されていました。
村人はここに食料を蓄え、いざというときは家畜とともに逃げ込めるように備えていたといいます。

きしむ木の階段をいちばん上までのぼってみます。
屋根に守られた城壁の上の通路からは、村の赤い屋根と、その向こうに広がるトランシルヴァニアの丘が一望できます。

最上階の通路には、大きな木箱がいくつも並んでいました。
かつて村人が穀物などを納めた保存箱のようで、今は屋根の下がそのまま物置のようになっています。

穀物を貯蔵した大きな木箱が並んでいました
階段を一段ずつ降りながら、部屋をひとつずつのぞいていきます。
これらの部屋は、昔の様子を再現するというよりは、村に残る古い家財や道具を集めた“小さな村の博物館”になっているようでした。

いちばん下の部屋には、村の歴史を伝える古い写真や書類がパネルで並び、ガラスケースには民族衣装をまとった人形や、絵付けの陶磁器・ガラスの器が収められています。
素朴で美しい品々にみなさん見入っていました。


訪れたときは、ちょうど色とりどりのストーブタイル(暖炉に使う陶製のタイル)の企画展もやっていました。
近くの町メディアシュの窯で焼かれたもので、チューリップや、民族衣装をまとった男女の絵柄が愛らしかったです。

近くの町メディアシュの窯で焼かれたものです
ヴィスクリが実際にオスマン軍の攻撃を受けたという明確な記録は残っていないようですが、このような要塞教会は「襲われても簡単には落とせない村」として抑止力になっていたと考えられています。
当時の人々の知恵に、感心させられる訪問となりました。
木の階段は細くて急勾配なので、歩きやすい靴でのお出かけをおすすめします。
ウェールズ公の家

チャールズ国王が修復・保存し一般公開しています
ヴィスクリの要塞教会の他に見どころになっているのが、イギリスのチャールズ国王ゆかりの家です。
国王が1998年に初めてトランシルヴァニアを訪れて以来、この農村の風景に魅了され、2006年に18世紀のザクセン様式の家を慈善財団を通じて購入。
伝統工法を用いて修復・保存し、現在は一般公開されています。

青い壁に彩色されたザクセンの伝統家具と乾燥ハーブが並んでいます
イギリス王室とルーマニア王家は、ヨーロッパ王室同士の婚姻を通じて遠い親戚関係にあります。
チャールズ国王は15世紀のワラキア公ヴラド3世(ドラキュラのモデルとされる人物)の遠縁にあたるんだとか。

王族の家とはいえ過度に手は加えられておらず、昔ながらの素朴な建物と、ザクセンの伝統的な家具などを見学できます。
中庭には、チャールズ国王とこの家にまつわる紹介パネルがずらりと並んでいました。

チャールズ国王とルーマニアのつながりが語られています
中庭を抜けると、木立のあいだにあまり手を入れていない池があり、敷地の一番奥はハーブ園になっていて、村の子どもたちがハーブや野菜を育てているそうです。

見学後に村にあるカフェにでも立ち寄るつもりでしたが、ベンチでのんびり休む訪問客が多く、私も真似をして、そのまま30分ほどゆっくり滞在させてもらいました。
そうこうしているうちに、もうブラショフへ向かう時間となり、村での約5時間の滞在はあっという間でした。

ヴィスクリへの行き方

ヴィスクリは、シギショアラとブラショフを結ぶ幹線道路から少し奥に入った、丘あいの小さな村です。
距離の目安は、シギショアラから約42km・車で50分ほど、ブラショフからは約79km・1時間15分ほどです。
村の入り口に無料の駐車場があり、そこから要塞教会までは歩いて向かいます。
いちばんのネックは、村の目の前まで行ける公共交通機関がほぼないこと。
路線バスや電車で乗りつける方法はないので、レンタカーで向かうか、ブラショフ発の英語の日帰りツアーに参加するのが現実的です。
ヴィスクリの要塞教会だけでなく、シギショアラやルペア要塞とセットになった1日ツアーが出ていて、ブラショフ市内の待ち合わせ場所から送迎付きで村まで連れて行ってくれます。
他に、要塞教会の村だけをめぐる珍しいツアーも。
「行ってみたいけれど個人手配はハードルが高い」という方には、いちばん気楽な方法だと思います。
追加料金で、プライベートツアーに変更できる場合もあります。
ブラショブ発:シギショアラ、ビスクリ、ルペア少人数グループツアー(プライベートツアーも可能)
ブラショブ:中世のシギショアラ、ビスクリ、ルペア要塞日帰りツアー(プライベートツアーも可能)
ザクセン村ツアー:ビスクリ、ルペア要塞、クリツ、サスキズ

私自身は、シギショアラからの送迎(結果的にバス会社が手配してくれたタクシー)でヴィスクリへ入り、5時間の滞在のあとブラショフへ抜けました。
この送迎を予約してから当日に予定が変わるまでのいきさつは、シギショアラの記事にくわしく書いています。
このときのタクシーの運転手さんは、ブラショフ出身のトランシルヴァニアのハンガリー人。
ルーマニアでハンガリー人として暮らす話をハンガリー語で聞けたのは、思いがけない収穫でした。
村には帰りの足がほとんどありません。ツアー以外で向かう場合は、帰りの送迎やタクシーの時間も先に決めておくと安心です。
民家のゲストハウスも人気があるので、村で宿泊してのんびりするのもありです。
その場合は、送迎の手配についてゲストハウスに相談できると思います。
ヴィスクリ観光のまとめ

塔と木造の回廊がぐるりと囲んでいます
要塞教会と、そのまわりに広がる素朴な村。
ヴィスクリは、中世の人々が身を守るために築いた知恵と、今ものんびり続く暮らしとが、同じ場所に残る村でした。
放し飼いの犬やガチョウ、民家の庭でいただくランチ、丘の上から見わたす村の眺め。
はじめは持て余すかと思った5時間も、ふたを開けてみれば意外とあっという間でした。
世界遺産の要塞教会はもちろん、チャールズ国王が惚れこんだ田園風景も、ここでは特別なものではなく日常の一部として続いています。
たどり着きにくい場所ではありますが、トランシルヴァニアをめぐる旅で少し時間に余裕がある方は、ぜひこの小さな村まで足をのばしてみてくださいね。
今回のトランシルヴァニア周遊は、シビウ → シギショアラ → ヴィスクリ → ブラショフのルートで回りました。
ヴィスクリの前に訪れたシビウとシギショアラの記事はこちらです。



