世界中でミュージカルや映画の題材となり、今なお人々を魅了し続けるオーストリア皇后エリザベート。
波乱に満ちた人生を歩んだ彼女は、実はハンガリーをこよなく愛し、ハンガリーの人々からも深く慕われていました。
日本でも宝塚歌劇団や東宝ミュージカルで大人気の『エリザベート』の音楽を手がけたのは、ハンガリー出身の作曲家シルヴェスター・リーヴァイ氏です。
リーヴァイ氏は、エリザベート皇后の大ファンだった夫人の影響で、その生涯を知るきっかけを得たといわれています。
さらに、日本公演でトート役を務めて話題を呼んだマテ・カマラス氏もハンガリー人俳優です。
画像引用元:東宝ミュージカル公式サイト(2019年帝劇公演より)
ハンガリーとエリザベートのつながりは、時を超えて今も生き続けています。
ミュージカル「エリザベート」が世界で愛され、日本でも上演されているのはその証といえるでしょう。
ウィーン宮廷の厳格なしきたりに息苦しさを感じていたエリザベートは、自由を愛する気質や人々の親しみやすさに心から安らぎを覚えたといわれています。
エリザベートがハンガリーに寄り添ったことで、1867年のオーストリア=ハンガリー二重帝国が誕生し、国はその後の黄金期を迎えました。
エリザベートはハンガリーの首都ブダペストから約30km離れたグドゥルー(Gödöllő)の宮殿で主に時間を過ごしましたが、ブダペストにもゆかりの場所がいくつかあります。
中央には王室専用ボックスがあり、エリザベートはここに着席しました
今回の記事では、エリザベートが戴冠式を行ったマーチャーシュ教会や、王妃のために設けられた特別な空間が残るオペラ座、甘いものが好きだった彼女にゆかりのある昔ながらのカフェなど、ブダペストで訪ねられるエリザベート皇后の足跡をご紹介します。
エリザベートのファンの方や歴史・王室に関心のある方、そしてミュージカルから興味を持った方にも、「観光名所+物語」を楽しんでいただける内容です🎉
彼女の名前は、ドイツ語では エリーザベト、ハンガリー語では エルジェーベト と呼ばれていますが、日本で一番なじみのある呼び方「エリザベート」で統一してご紹介しています。
なお、彼女は“シシィ”という愛称でも親しまれており、ブダペストやグドゥルー宮殿など、各地で“シシィ”の名を目にすることができます。
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エリザベートとハンガリーの関係
皇后エリザベートが愛した髪飾り「シシィの星」が印象的
画像引用元:Wikipedia
エリザベートは1837年、当時のバイエルン王国(現在のドイツ南部)にある公爵家の娘として生まれ、湖や森に囲まれた環境で乗馬や自然を満喫しながら自由に育ちました。
ところが16歳でオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフに嫁ぎ、ウィーン宮廷に入ると、厳格なしきたりや形式に縛られた生活に強い息苦しさを覚えるようになります。
そんな彼女が心を寄せたのが、当時オーストリア支配下で自由を制限されていたハンガリー。
騎馬民族のルーツを持つこの国は、幼い頃から乗馬を愛した彼女にとって親しみやすく、エリザベートの目には、人々の率直で温かな気質が宮廷の息苦しさとは対照的に映りました。
エリザベートはハンガリー語を習得し、侍女もハンガリー人を選ぶなど、日常の中でもハンガリーとの結びつきを深めていきました。
戴冠式の衣装は、ハンガリーの民族的な模様を取り入れた特別なドレスでした
画像引用元:Wikipedia
自由を渇望するハンガリー人と、自由を求め続けたエリザベートの思いは響き合い、ついには1867年の「二重帝国」成立を後押しする大きな力となりました。
彼女は夫フランツ・ヨーゼフに粘り強く働きかけ、さらにハンガリーの指導者らと親交を深めることで、ハンガリー側と皇帝との橋渡し役を果たしたのです。
ミュージカル「エリザベート」でも、この戴冠式の場面は象徴的。
ハンガリーの人々に迎えられ、皇后としての輝きを放つ姿が印象的に描かれています。
戴冠を記念して夫妻に贈られたグドゥルー宮殿は、とりわけエリザベートが心から愛した場所となり、彼女はここで多くの時間を過ごしました。
エリザベートはグドゥルー宮殿に通算2300日以上滞在したと言われ、ここで4人目の娘マリー・ヴァレリーも出産しています。
画像引用元:epiteszforum.hu
ハンガリー人からの支持の高かったエリザベートですが、1898年にスイス・ジュネーブで暗殺され、その突然の死はハンガリー国民に大きな衝撃と悲しみを与えました。
現在でも、エリザベートの名前を冠した広場や橋、記念碑が各地に残されており、彼女がいかに人々に愛され続けてきたかを物語っています。
宮殿や鉄道駅にある皇帝の待合室、現在人気のあるカフェなどの情報は、こちらにまとめたのでご覧ください。
ブダペストのエリザベートゆかりの地
エリザベート皇后もそのケーキを味わったと伝わります
ブダペストの街には、今もエリザベートの足跡を感じられる場所が点在しています。
ここからは、観光で訪れやすいゆかりの地をご紹介します。
マーチャーシュ教会|エリザベートの戴冠式の舞台
画像引用元:PestBuda
ブダ城の丘に立つマーチャーシュ教会(Mátyás-templom)は、ブダペストを象徴する教会のひとつです。
この場所はハンガリー史の舞台となってきましたが、注目すべきは1867年、フランツ・ヨーゼフとエリザベートの戴冠式が行われたことです。
この戴冠は、長く緊張関係にあったオーストリアとハンガリーが歩み寄り、「オーストリア=ハンガリー二重帝国」が成立したことを象徴する出来事でした。
その後のハンガリーは政治的安定と経済成長を迎え、ブダペストがヨーロッパ屈指の近代都市へと発展する「黄金時代」の幕開けとなったのです。
ジョルナイのタイル屋根が美しい
エリザベートが戴冠式を行った当時のマーチャーシュ教会は、もっと落ち着いた佇まいでしたが、19世紀末に建築家シュレック・フリジェシュによる大規模改装を経て、現在の姿に生まれ変わりました。
カラフルな屋根瓦や繊細なゴシック装飾、彩色豊かな壁画が彩る内部は、ハンガリー民族の東方的な起源を意識したエキゾチックな雰囲気を漂わせ、ウィーンとは異なる独自の「ハンガリーらしさ」を強調しています。
戴冠式当時は赤と白を基調とした、よりクラシックな雰囲気だった様子。
違いを思い描きながら歩くと、エリザベートがこの場所に立った瞬間を想像できるかもしれません。
教会の左側前方からは、上階のギャラリーへと上ることができ、小さな博物館のような展示スペースになっています。そこにはエリザベートの胸像も置かれており、今も多くの人々が足を止めてその面影を偲んでいます。
マーチャーシュ教会のすぐ背後には、1905年に完成したドナウ川を見渡す展望台「漁夫の砦」が広がっています。
エリザベートと直接の関わりはありませんが、白い石造りの回廊や塔は絵本の世界のような雰囲気。
ウェディングフォトや雑誌の撮影などでも人気のスポットなので、ロマンチックな1枚を撮りたい方は、教会の後にぜひ立ち寄ってみてください。
なお、ブダ城にある「王宮」は、あくまで儀式や行政のための建物であり、フランツ・ヨーゼフやエリザベートが実際に暮らしたり滞在したことはありません。
現在はハンガリー国立美術館や歴史博物館、国立図書館などが入る文化施設として利用されています。
王宮の丘(ブダ城)に関する詳しい情報は、こちらの記事をご覧ください。ブダペスト観光で絶対に外せないスポットです!
マーチャーシュ教会
オペラ座|エリザベートの階段とボックス席
ブダペストのオペラ座は、ハンガリーを代表する建築家イーブル・ミクローシュ(Ybl Miklós)の設計により、1875年から9年をかけて建設されました。
私自身、ヨーロッパでいくつものオペラ座を訪れましたが、こぢんまりとしたブダペストのオペラ座が、一番優雅で美しいと思っています!
実は、日中のオペラ座見学ツアーに参加をすると、エリザベートとゆかりのある特別な空間へ近づくことができます。
フランツ・ヨーゼフ皇帝やエリザベートが実際に歩いた「王室専用階段(Királylépcső)」は、オペラ座の側面の馬車寄せから直接つながる格式ある大階段です。
階段の上には大きな鏡があり、伝説によればエリザベートは「自分がよりスリムに映るから」と、この鏡を気に入っていたといいます。
また、この鏡を通して、礼儀作法上まっすぐ前を向かねばならなかった皇帝夫妻も、周囲の華麗な装飾をさりげなく眺めることができたそうです。
オペラ座の客席中央には、皇帝と王妃のために設けられた「王室専用ボックス席」があります。
両隣には護衛用のボックスも並び、当時の格式ある雰囲気を今に伝えています。
見学ツアーでは、このボックス席の裏にある「赤の間」と呼ばれるサロンにも入ることができ、豪華な装飾や赤い絹布で彩られた空間を間近で楽しめます。
ボックス席自体も、扉越しに中を覗き見ることができるので、かつて王と王妃が過ごした特別な時間を想像してみてはどうでしょう。
画像引用元:オペラ座公式サイト
「王室専用階段」や「赤の間」には、見学ツアーでしか行くことができません。
エリザベートファンの方は、ぜひ参加してみてください。
オペラシーズンの観劇では、客席から王のボックス席を眺めながら、美と自由を愛した皇后が過ごした時代の空気に思いを馳せることができます。
オペラ座の情報 | |
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住所 | Budapest, Andrássy út 22, 1061 |
公式ウェブサイト (オペラ観劇のチケットも販売) | https://www.opera.hu/en/ |
見学ツアー情報 | https://www.opera.hu/en/about-us/guided-tours/operatour-8211-guided-tours-at-the-restored-opera-house/ |
見学ツアーは公式ウェブサイトから申込みでき、英語・ドイツ語・フランス語など複数の言語で、午後に3つの時間帯が用意されています。
英語サイトが分かりにくいときは、日本語で分かりやすく予約できる「GetYourGuide」を利用するのもおすすめです。
外国語のツアーだと不安…という方は、ベルトラで予約できる日本語ガイド同行の「オペラ座+国会議事堂」プライベートツアーもおすすめです。
見学ツアーでイヤホンは使わないので、ガイドさんの側にいないと説明が聞き取りにくいです。
しっかり内容を知りたい方は、少し高額になりますが、日本語ガイドに同行してもらうのが確実&安心です。
ルスヴルム|甘党エリザベートのお気に入りカフェ
ハンガリーのケーキ屋さんには大体置いてあるので、ぜひ食べてみてください
エリザベートといえば、美貌を保つために日々の運動や極端な食事制限をしていたことで知られていますが、実は大の甘党でもありました。
マーチャーシュ教会のすぐそばにある老舗カフェ・ルスヴルム(Ruszwrum)は、エリザベートのお気に入りの場所。
侍女がエリザベートのために、クグロフ(中欧の伝統的なリング型ケーキ)やミントのスティック菓子、アイスコーヒーを買うために通い、旅先にも携えたといわれています。
残念ながら、この歴史あるカフェは2025年8月から休業していますが、再開を心待ちにしたいところです。
もし「当時の雰囲気を感じられる昔ながらのカフェ」を訪ねたいなら、5区にあるジェルボー(Gerbeaud) がおすすめです。
エリザベートが訪れたこともあると伝えられる有名店で、特に店内では19世紀の華やかなブダペストの雰囲気を体感できます。
1858年創業のジェルボーには、少しモダンにアレンジされたクラシックなケーキから、現代的なおしゃれなケーキまでがずらり。
軽食やハンガリー料理も提供しているので、ちょっと高価ではありますが、ランチやディナー利用でも楽しめます。
ブダペストには、19世紀の華やかな雰囲気を味わえる老舗カフェが残っているので、観光の合間にぜひ立ち寄ってみてください。
ジェルボーの情報や、ブダペストのおすすめのカフェについては、以下の記事にまとめたのでぜひご覧ください。
ルスヴルム(休業中)
ジェルボー
国会議事堂|エリザベートも戴冠した王冠が展示
ドナウ川沿いにそびえる国会議事堂は、オーストリア=ハンガリー二重帝国成立(1867年)によって自治を取り戻したハンガリーが、独自の議会を持つ国家としての誇りを示すために建設されました。
現在は内部見学ツアーでその壮麗な様子を楽しむことができますが、最大の見どころのひとつが「聖イシュトヴァーンの王冠」。
この王冠は西暦1000年ごろに作られた、ヨーロッパ最古級の王権の象徴です。
画像引用元:parlament.hu
初代国王イシュトヴァーン1世以来、歴代の戴冠式で用いられてきたもので、エリザベートも夫フランツ・ヨーゼフとともにこの冠を戴きました。
王冠と並んで宝珠(オーブ)と王笏(セプター)も展示されており、この三つがそろって初めて「正統な戴冠式」と認められました。
エリザベートもその儀式で身につけたこれらの王権の象徴を間近に見られるのは、国会議事堂の内部ツアーならでは。
歴史の重みをぜひ体感してみてください。
聖イシュトヴァーンの王冠のあるエリアは撮影禁止ですが、それ以外の場所は自由に写真撮影できます
外から眺めるだけではなく、入場してみたい方はご参照ください。
国会議事堂
西駅の皇帝の待合室|王室がグドゥルーへ列車で旅立った場所
エリザベートはここからグドゥルーなどへ列車で旅立ちました
ブダペスト西駅(Nyugati)には、実はエリザベートとフランツ・ヨーゼフのために造られた王室専用待合室が今も残っています。
皇帝夫妻は、グドゥルー宮殿、北東ハンガリーやトランシルヴァニア方面へ向かう際に、この待合室を利用していたそうです。
残念ながら普段は非公開で、オリエント急行など特別列車の運行時など限られた機会にしか開かれません。
画像引用元:Wikipedia
100年以上使われていないこの待合室は、豊かな装飾が施されたバロック風の内装で、まるで宮殿の一室のようだと伝えられています。
私自身もまだ中には入ったことがないので、機会があればぜひ訪れてみたい場所です。
西駅のホームからはその扉を、ショッピングモール「Westend」側からは外観を眺められるので、エリザベートの時代を想像しながら歩いてみてはどうですか。
もしも電車で行く場合、現在は西駅ではなく、東駅発着なのでご注意ください
なお、エリザベートのお気に入りの宮殿があるグドゥルー駅には、2011年に復元された皇帝の待合室があります。
(宮殿の前にある郊外列車の駅ではなく、約1km離れた国鉄の駅に隣接しています。)
しっかりした公式ページがないのですが、FacebookやGoogle Mapsの情報を参考に、開いているタイミングであればのぞいてみてください。
普段は、地元のコンサートなども開催されています。
2024年のリニューアル後は「モダンすぎる」という声もあれば「やはり美しい」と評価する声もあり、賛否が分かれています。西駅の近くにお越しになったら、ぜひご自身の目で確かめてみてください。
西駅の皇帝の待合室(入場できませんが、外観やホーム側の扉は見ることができます)
エリザベート橋|皇后を偲んで名づけられた橋とふもとの銅像
画像引用元:Wikipedia
こちらの画像は1903年に完成した初代のエリザベート橋。
当時としては世界最長の無支柱スパン(290m)を誇る鎖橋で、ハンガリー技術の粋を集めた革新的な建造物でした。
1898年に暗殺されたエリザベート皇后を追悼し、橋は彼女の名を冠して「エリザベート橋」と呼ばれるようになりました。
残念ながら第二次世界大戦の1945年1月、撤退するドイツ軍によって爆破されてしまいます。
戦後は再建されず、1960年代に現在の白い吊り橋として生まれ変わりました。
2009年、「日・ハンガリー国交再開50周年記念プロジェクト」の一環として実現しました
優美な初代とは雰囲気が異なるのは個人的に残念に思うのですが、毎日の交通を支える重要な存在として、ブダペストの人々の暮らしに欠かせない橋となっています。
エリザベート橋のブダ側のたもとには、1902年に制作された記念碑があり、皇后をしのぶ象徴として親しまれています。
背景左上に見えるのはエリザベート橋、右上に小さく映るのはゲッレールトの丘の上の自由の女神像(自由記念像)
ちなみに、エリザベート橋の南にあった「フランツ・ヨーゼフ橋」の名は、人気の高かった妻とは違って残らず、第2次世界大戦後に「自由橋(Szabadság híd)」へと改名されました。
この歴史をユーモラスに表現したのが、現代アーティストのコロドコ・ミハーイ。
自由橋の欄干には、どこか哀愁を帯びたフランツ・ヨーゼフ皇帝の小さな彫刻がちょこんと飾られていて、見つけた瞬間に思わずクスッと笑ってしまうかもしれません。
中央市場から歩いて数分の場所にあるので、可愛いものが好きな方はぜひ探してみてください。
かわいいミニ彫刻がブダペスト市内にたくさん隠れています。詳細はこちらからどうぞ。
エリザベート橋
エリザベートの像
フランツ・ヨーゼフのミニ彫刻
【まとめ】ブダペストで感じるエリザベートの面影
自由な心を持つエリザベートにとって、形式ばったウィーンの宮廷とは対照的に、ハンガリーは自分らしさを取り戻せる大切な場所でした。
やがて二重帝国の成立に尽力し、ハンガリー人からも深く敬愛される存在となりました。
戴冠式が行われたマーチャーシュ教会、オペラ座の優雅な階段、彼女が好んだ甘いお菓子を味わえる老舗カフェなど、ブダペストにはエリザベートの足跡を感じられる場所が数多く残っています。
彼女のゆかりの地を訪れることで、ブダペスト観光がより特別な時間になるでしょう。
気になる場所があれば、ぜひ旅のプランに加えてみてください。
🇭🇺ブダペストが初めての方は、町の観光スポット案内をぜひご覧ください。